こんにちは。さんぼんがわ どどこ です。
今月分の仕事が終わり、ぽけっとしていますが、ふと考えたら「確定申告」の季節なんですよね。
昨年は早めに準備して、初日に提出を済ませました。(えへん!)
あー。めんどいけどやらなくちゃ!
税理士さんにお願いできるくらい稼ぎたいものです。
お坊さんパーカッションをアリーナ席で観る
伯母の葬儀全般、知らないことや見慣れないことが多いものでしたが、告別式の座席の並びもそのひとつでした。
今までに参列した葬儀を思い返すと
こんな感じだったのですが、伯母の通夜式・告別式はこんな感じ。
わたしは故人の姪なので、本当なら一般席に着くはずなんですけど、なぜか母の隣りに座ることに……。
その日は朝8時半の出棺のために、5時半に起こされて寝不足です。
お経を聞きながら眠くなったら恥ずかしいな……なんてことを考えていました。
やがて「導師様ご入場」のアナウンスがあり、3人のお坊さんがいらっしゃいました。
改めてよく見ると、お坊さんが着座されるところには、太鼓やシンバルのような「鳴り物」と呼ばれる仏具があります。
あれ、「シャシャシャシャシャーーーーーンッ!」って、かなり賑やかじゃないですか。
目の前だし、眠くなることはないだろうと安心していました。
母に襲いかかる魔物
読経が始まって間もなく、隣りにいた母が深く頭を垂れました。
はじめは「泣いているのかな……」と思ったのですが、どうも様子が違う。
横目で見ると、寝ていたんですね。
目の前でド派手な鳴り物が繰り広げられているというのに!
母は前の晩ほとんど眠っていないので、無理もありません。
しかし、そのことを知っているのはわたしだけです。
前を向いている参列者に “姉の告別式で居眠りをする薄情な妹” と思われては気の毒なので、肘でつついて起こしました。
誰もが経験あると思いますが、睡魔に襲われているときってなかなか正気に戻れません。
ちょんちょんっと肘でつつくとハッとするのですが、またすぐにガクッと垂れてしまう母の頭。
「誰にも気づかれていないといいけど……。」
そんなことを思いながら前を見ると、従兄と目が合ってしまいました。
笑いをこらえて変顔になっていましたよ。喪主が。
その顔を見て、わたしも噴きそうになってしまい、こらえるのに大変でした。
また天国で逢いましょう
こうして伯母を見送って、数人いた母の兄弟姉妹は、母と叔父だけになってしまいました。
やがて、わたしたち・子の世代が見送られる番になります。
そして次には、わたしたちの子や孫の世代が……。
生まれて、子孫を残して、死んでいく。
動物も植物もそのくりかえしは同じなのに、人間だけが大騒ぎしてしまうのは、「宗教観」があるからでしょうか?
わたしは(敬虔とは言い難いですが)クリスチャンです。
クリスチャンは「死んでも天国で再会できる」と教わります。
なので、「天国でまた逢いましょう!」という言葉を残して逝かれる方が多いです。
それは嬉しいことですが、家族や親戚の中でクリスチャンはわたしひとり。
そうなると、わたしは誰にも会うことができなくなってしまうのですね……。
キリスト教は一神教で、他の宗教儀式(例えば神社・仏閣を詣でたり、仏壇に手を合わせたりなど)は禁止です。
でも、実家は(こちらも敬虔とは言い難いですが)仏教徒です。
お盆やお彼岸には母のお供でお寺に行き、ひざが悪い母の代わりにお墓の掃除を手伝います。
伯母の葬儀では、心の中で伯母に語り掛けながら、形式的に焼香を行ないました。
クリスチャンとしてあるまじき行為かもしれませんが、知らん顔もできません。
で、ふと思ったんです。
神様って、そんなにケツの穴の小さい存在だろうか?
そんな疑問に、京都のお坊さんがわかりやすく綺麗な言葉(笑)で答えてくださった動画があります。
14分ほどのメッセージです。(TEDxKYOTO)
宗教の本質は「安心感」を与えること。
まったくです!!
この宗教観が浸透すれば、宗教がきっかけの戦争もテロ行為も、世界中からなくなることでしょう。
そして、不安を煽るだけのカルト宗教も、金儲け主義のオラオラ系スピリチュアル教祖も、きっといなくなるはずです。
——————————————————
今日も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
ランキングに参加しています!
コミックエッセイカテゴリー:26位/172人中(2018年1月17日現在)
いつもポチしてくださるあなた、本当にありがとうございます。
初めましてのあなた、記念にポチしてくださると嬉しいです。
↓↓↓↓↓
運が開けるかもしれない(笑)LINEスタンプ発売中です。